竹田青嗣「哲学ってなんだ」岩波書店
・竹田青嗣「哲学ってなんだ 自分と社会を知る」
・著者は、著名な哲学者で早稲田大学名誉教授
・参議院行政監視委員会の客員調査員として「近代市民国家の基本理念等の社会思想」について調査室の職員に講義をされており、次のように述べておられます。「今の政治の最重要課題は、政治制度をいかに一般意志をよく表現するようなシステムへと改変できるかなので、行政監視研究会の活動がどれだけ長く続き多くの志ある人を育てられるかは本当に大事なことです。」
「行政監視」は、民主主義の原理に基づき、公共の利益(=全国民に共通する社会一般の利益)の実現という観点で行うべきである、と荒井達夫は主張しています。このような「行政監視」の観点に関する発想の原点は、竹田青嗣氏の思想にあります。本書で書かれているルソーの社会契約説の解説(竹田説)で、ご本人は「異端」と言われていると言っておられるのですが、私は三十数年に及ぶ公務員としての経験から竹田説が完全に正しいと考えています(※)。「行政監視」は国民主権(主権は国民全体にある)を支える仕組みであり、このことを徹底するためには全ての国民が平等の条件で政治に参加できる制度(→選挙制度)が不可欠です。この論理も竹田説から導くことができます。
※2016.2.17参議院憲法審査会 荒井達夫参考人発言PDFファイルを表示
「行政監視」は公務員の働きぶりを見張ることであり、民主主義社会をより円滑に機能させる重要な仕組みと言えますが、私はルソーの社会契約説そのものに深い関心を持ったのではなく、公務員法制のあり方を考える中で、「行政監視」を支える哲学思想として竹田説の重大性に気が付いたのです。「行政監視」に関して重要な箇所は本の80頁から89頁まで、わずか10頁ですが、私はこれを繰り返し読み、考えました。何より社会契約説と現行法制(憲法、行政法、特に公務員法)の関係、そして法を誠実に執行することの意味を考えるに当たって竹田説は非常に参考になったのです(※)。竹田青嗣氏が参議院行政監視委員会の客員調査員を委嘱された理由も、正にこれでした。
※千葉経済大学 2022行政学授業資料PDFファイルを表示
※2017.12.5参議院財政金融委員会 風間直樹議員発言PDFファイルを表示
竹田説の「一般意思」の理解は、公共の利益のために全力で働く公務員が全体の奉仕者であり(※)、それを確保するために「行政監視」が不可欠であるという思想の土台になる、と私は考えました。「行政監視」のためにはルソーの社会契約説を詳しく知っている必要はなく、竹田説と現行法制の関係を理解していることの方がはるかに重要です。この点を理解できずに、社会契約説をどれほど知っているかに異様にこだわる哲学者もいるので、特に強調しておきます。私は竹田説に出会った後に「ルソー 社会契約論/ジュネーヴ草稿 中山元 訳」(光文社)を読みましたが、やはり古典であり、「行政監視」に関する限り特段の知見は得られませんでした。また、公務員の存在意義である「公共の利益」(※)について著名な公共哲学者の方々と議論もしてきましたが、公務員法については彼らは無知・無関心であり、結局、「一般意思」と現行法制の関係で明確に重要な示唆を得られたのは竹田青嗣氏のこの本だけでした。竹田説は日本国憲法・国家公務員法(※)という民主主義法制にダイレクトにつながる現代版社会契約説である、と私は考えています。
※日本国憲法
第十五条 公務員を選定し、及びこれを罷免することは、国民固有の権利である。
② すべて公務員は、全体の奉仕者であつて、一部の奉仕者ではない。
※国家公務員法
(服務の根本基準)
第九十六条 すべて職員は、国民全体の奉仕者として、公共の利益のために勤務し、且つ、職務の遂行に当つては、全力を挙げてこれに専念しなければならない。
※国家公務員・宣誓書PDFファイルを表示
要するに、竹田説そのものが「行政監視」の思想的土台となる最重要の哲学思想である、ということです。なお、竹田説については、山下栄一参議院行政監視委員長が非常に強い関心を示し、当時、行政監視委員会の客員調査員であった竹田青嗣氏と二度にわたり、長時間の意見交換の機会を持ち、その後も親しく交流を続けたことを付言しておきます。「行政監視」が国会の実務であり、新しい学問分野が切り開かれつつあることを感じた印象的な出来事でした。
「行政監視」に関する学者による研究が一向に深まらず、そもそも行政監視とは何かという基本の議論さえまともにできていないのは、「行政監視」が国会の実務であることに加えて、このような原理的思考の欠如(→「行政監視にはいろいろな意味がある」との発想)も原因の一つではないか、と私は考えています。「本当に必要な行政の監視とは何か」という本質的な疑問が出てこない状況に学説はあると思うのです。省ぐるみの公文書の改ざんという行政の危機的状況の中で、学者(政治学、行政学、憲法学)の思考も危機的状況にあると言わなければなりません。
行政監視とは何かの議論は、国の統治機構はどうあるべきかの議論に直結します。そして、この国のあるべき姿の議論につながります。その場合、議論の前提として人と社会と国家の関係、主権が民にあることの意味、ルールの重要性と自由の相互承認等を知っておくことが非常に重要であり、この本が他では得られない有益な情報を提供してくれると私は確信しています。「行政監視」に関心のある皆様(特に学者)には、是非本書を一読されることをお勧めします。
・著者は、著名な哲学者で早稲田大学名誉教授
・参議院行政監視委員会の客員調査員として「近代市民国家の基本理念等の社会思想」について調査室の職員に講義をされており、次のように述べておられます。「今の政治の最重要課題は、政治制度をいかに一般意志をよく表現するようなシステムへと改変できるかなので、行政監視研究会の活動がどれだけ長く続き多くの志ある人を育てられるかは本当に大事なことです。」
「行政監視」は、民主主義の原理に基づき、公共の利益(=全国民に共通する社会一般の利益)の実現という観点で行うべきである、と荒井達夫は主張しています。このような「行政監視」の観点に関する発想の原点は、竹田青嗣氏の思想にあります。本書で書かれているルソーの社会契約説の解説(竹田説)で、ご本人は「異端」と言われていると言っておられるのですが、私は三十数年に及ぶ公務員としての経験から竹田説が完全に正しいと考えています(※)。「行政監視」は国民主権(主権は国民全体にある)を支える仕組みであり、このことを徹底するためには全ての国民が平等の条件で政治に参加できる制度(→選挙制度)が不可欠です。この論理も竹田説から導くことができます。
※2016.2.17参議院憲法審査会 荒井達夫参考人発言PDFファイルを表示
「行政監視」は公務員の働きぶりを見張ることであり、民主主義社会をより円滑に機能させる重要な仕組みと言えますが、私はルソーの社会契約説そのものに深い関心を持ったのではなく、公務員法制のあり方を考える中で、「行政監視」を支える哲学思想として竹田説の重大性に気が付いたのです。「行政監視」に関して重要な箇所は本の80頁から89頁まで、わずか10頁ですが、私はこれを繰り返し読み、考えました。何より社会契約説と現行法制(憲法、行政法、特に公務員法)の関係、そして法を誠実に執行することの意味を考えるに当たって竹田説は非常に参考になったのです(※)。竹田青嗣氏が参議院行政監視委員会の客員調査員を委嘱された理由も、正にこれでした。
※千葉経済大学 2022行政学授業資料PDFファイルを表示
※2017.12.5参議院財政金融委員会 風間直樹議員発言PDFファイルを表示
竹田説の「一般意思」の理解は、公共の利益のために全力で働く公務員が全体の奉仕者であり(※)、それを確保するために「行政監視」が不可欠であるという思想の土台になる、と私は考えました。「行政監視」のためにはルソーの社会契約説を詳しく知っている必要はなく、竹田説と現行法制の関係を理解していることの方がはるかに重要です。この点を理解できずに、社会契約説をどれほど知っているかに異様にこだわる哲学者もいるので、特に強調しておきます。私は竹田説に出会った後に「ルソー 社会契約論/ジュネーヴ草稿 中山元 訳」(光文社)を読みましたが、やはり古典であり、「行政監視」に関する限り特段の知見は得られませんでした。また、公務員の存在意義である「公共の利益」(※)について著名な公共哲学者の方々と議論もしてきましたが、公務員法については彼らは無知・無関心であり、結局、「一般意思」と現行法制の関係で明確に重要な示唆を得られたのは竹田青嗣氏のこの本だけでした。竹田説は日本国憲法・国家公務員法(※)という民主主義法制にダイレクトにつながる現代版社会契約説である、と私は考えています。
※日本国憲法
第十五条 公務員を選定し、及びこれを罷免することは、国民固有の権利である。
② すべて公務員は、全体の奉仕者であつて、一部の奉仕者ではない。
※国家公務員法
(服務の根本基準)
第九十六条 すべて職員は、国民全体の奉仕者として、公共の利益のために勤務し、且つ、職務の遂行に当つては、全力を挙げてこれに専念しなければならない。
※国家公務員・宣誓書PDFファイルを表示
要するに、竹田説そのものが「行政監視」の思想的土台となる最重要の哲学思想である、ということです。なお、竹田説については、山下栄一参議院行政監視委員長が非常に強い関心を示し、当時、行政監視委員会の客員調査員であった竹田青嗣氏と二度にわたり、長時間の意見交換の機会を持ち、その後も親しく交流を続けたことを付言しておきます。「行政監視」が国会の実務であり、新しい学問分野が切り開かれつつあることを感じた印象的な出来事でした。
「行政監視」に関する学者による研究が一向に深まらず、そもそも行政監視とは何かという基本の議論さえまともにできていないのは、「行政監視」が国会の実務であることに加えて、このような原理的思考の欠如(→「行政監視にはいろいろな意味がある」との発想)も原因の一つではないか、と私は考えています。「本当に必要な行政の監視とは何か」という本質的な疑問が出てこない状況に学説はあると思うのです。省ぐるみの公文書の改ざんという行政の危機的状況の中で、学者(政治学、行政学、憲法学)の思考も危機的状況にあると言わなければなりません。
行政監視とは何かの議論は、国の統治機構はどうあるべきかの議論に直結します。そして、この国のあるべき姿の議論につながります。その場合、議論の前提として人と社会と国家の関係、主権が民にあることの意味、ルールの重要性と自由の相互承認等を知っておくことが非常に重要であり、この本が他では得られない有益な情報を提供してくれると私は確信しています。「行政監視」に関心のある皆様(特に学者)には、是非本書を一読されることをお勧めします。