「役割論なき参議院改革論」は有害である
著者は政治制度を専攻する研究者であり、国会学の分野では第一人者と言ってよいと思います。しかし、その主張には致命的な問題があると荒井達夫は考えています。特に本書の「参議院の活かし方」(190~201頁)には、以下のような記述があります。
「強い権限を保持する参議院が、衆議院とは一線を画し、独自性を追求しようとすると、両者間の緊張は一挙に高まる。・・・・・衆議院に対して、参議院が独自性を発揮しようとすれば、衆議院とは異なる選挙制度を採用することによって構成を変えるしかない。・・・・・選挙制度を改革して衆議院との違いを際立たせようとすると、その分だけ参議院は民意から遠くなる。・・・・・第二院の権限と独自性は、トレードオフの関係にあるといってよいだろう。」(197頁~198頁)
「参議院の将来像を構想するうえでも、権限と独自性のどちらを優先するかがキーポイントになる。」(199頁)
「憲法改正を視野に入れるのであれば、参議院の権限を引き下げ、その代わりに独自性を追求する道もある。」(200~201頁)
しかし、本来議論すべきなのは、参議院の独自性ではなく、参議院の役割です。参議院の権限は、参議院の役割という目的を果たす手段ですから、参議院の役割(目的)が不明確なまま、参議院の権限(手段)について議論しても意味がありません。これは、選挙制度についても同様です。選挙制度は、院の役割という目的を果たす手段であり、参議院の役割(目的)が不明確なまま、参議院の選挙制度(手段)について議論するのは無意味です。また、わざわざ独自性という意味不明の言葉を使って、衆議院との違いを際立たせる必要はありません。二院制である以上、衆参両院の目的が異なるのは当然であり、目的の違いが独自の結果を生むのも必然です。つまり、参議院の独自性を生み出すのは、衆議院が果たし得ない参議院の役割です。参議院には衆議院と異なる独自の役割がある、それだけです。これは本質的かつ根本的な問題ですが、この自明のことが学者には意識されていないように感じます。大山礼子氏はその典型であり、学者が参議院の役割を真正面から議論しないことが、参議院改革の議論が混迷する最大の原因であると荒井達夫は考えます。
すなわち、参議院制度の改革論において、
・第二院の権限と独自性は、トレードオフの関係
・権限と独自性のどちらを優先するか
・参議院の権限を引き下げ、その代わりに独自性を追求する
こうした発想が論理的に破綻しているということです。
大山氏の議論は、独自性という意味不明の言葉に囚われるあまり、制度設計の目的と手段を取り違えており、選挙制度(手段)のために参議院の役割(目的)を変えるという本末転倒の議論になりかねません(※)。これで選挙制度も非常に多種多様だとなると、議論はまさに支離滅裂です。
大山氏の議論は、独自性という意味不明の言葉に囚われるあまり、制度設計の目的と手段を取り違えており、選挙制度(手段)のために参議院の役割(目的)を変えるという本末転倒の議論になりかねません(※)。これで選挙制度も非常に多種多様だとなると、議論はまさに支離滅裂です。
※ 2013.5.22参議院憲法審査会 大山礼子参考人発言PDFファイルを表示
※ 2016.2.24参議院国の統治機構に関する調査会 大山礼子参考人発言PDFファイルを表示
二院制を支持する者の間では、参議院は行政監視機能をより重視すべきだという認識が共有されています(※)。二院制の下で、参議院は衆議院と異なる役割を担うべきであり、その最も合理的かつ公共的な役割は「行政監視=法律執行の監視」です。これは立法府としての国会が、政府に対する制度的監視機能を果たすための中核であり、衆議院にはできない、まさに参議院の存在意義と言えるものです。国民主権に基づく二院制と、衆議院主体の議院内閣制という日本国憲法の制度設計の中で、参議院には「行政監視」こそが最も本質的かつ制度的にふさわしい役割であると考えられます。参議院に行政監視委員会が設置されていることは、その役割を制度的に裏付ける象徴的な存在と言えるでしょう。行政監視委員会は、参議院だけにある「行政監視」を目的とする委員会ですから、この事実は重大です。参議院の役割として、「行政監視=法律執行の監視」以上にふさわしいものは論理的に存在しないと私は考えます。したがって、参議院の役割を「行政監視」と位置づけるならば、それに応じて参議院の権限や選挙制度も自ずと定まってくるはずです。
※ 2016.2.24参議院国の統治機構に関する調査会 大山礼子参考人発言PDFファイルを表示
二院制を支持する者の間では、参議院は行政監視機能をより重視すべきだという認識が共有されています(※)。二院制の下で、参議院は衆議院と異なる役割を担うべきであり、その最も合理的かつ公共的な役割は「行政監視=法律執行の監視」です。これは立法府としての国会が、政府に対する制度的監視機能を果たすための中核であり、衆議院にはできない、まさに参議院の存在意義と言えるものです。国民主権に基づく二院制と、衆議院主体の議院内閣制という日本国憲法の制度設計の中で、参議院には「行政監視」こそが最も本質的かつ制度的にふさわしい役割であると考えられます。参議院に行政監視委員会が設置されていることは、その役割を制度的に裏付ける象徴的な存在と言えるでしょう。行政監視委員会は、参議院だけにある「行政監視」を目的とする委員会ですから、この事実は重大です。参議院の役割として、「行政監視=法律執行の監視」以上にふさわしいものは論理的に存在しないと私は考えます。したがって、参議院の役割を「行政監視」と位置づけるならば、それに応じて参議院の権限や選挙制度も自ずと定まってくるはずです。
※ 2016.11.16参議院憲法審査会 西田実仁議員発言PDFファイルを表示
本来議論すべき参議院の役割なら、参議院の権限とトレードオフの関係になるわけがありません。私は、大山氏の議論の最大の欠陥は、参議院の将来像を構想するにあたり、「行政監視=法律執行の監視」を参議院の役割として捉える視点を欠いていることであると考えます。また、その原因は、大山氏が「行政監視」を定義していないところにあります。実際、この本には「国会は政府を監視できるのか」という解説(73~81頁)がありますが、そこに書かれているのは、「国会には『質問』は存在しない」(73頁)、「使えない国政調査権」(79頁)といった「行政監視」に使える手段の話だけで、そもそも「行政監視」とは何かという肝心要の本質的な説明が欠けています。質問権や国政調査権の行使が「行政監視」であるという理解自体が誤りですが、実務を知らず、机上の議論に終始する学者は、それがわからないのです。国会の実務家(議員と職員)にとっては、この点が要注意です。
本来議論すべき参議院の役割なら、参議院の権限とトレードオフの関係になるわけがありません。私は、大山氏の議論の最大の欠陥は、参議院の将来像を構想するにあたり、「行政監視=法律執行の監視」を参議院の役割として捉える視点を欠いていることであると考えます。また、その原因は、大山氏が「行政監視」を定義していないところにあります。実際、この本には「国会は政府を監視できるのか」という解説(73~81頁)がありますが、そこに書かれているのは、「国会には『質問』は存在しない」(73頁)、「使えない国政調査権」(79頁)といった「行政監視」に使える手段の話だけで、そもそも「行政監視」とは何かという肝心要の本質的な説明が欠けています。質問権や国政調査権の行使が「行政監視」であるという理解自体が誤りですが、実務を知らず、机上の議論に終始する学者は、それがわからないのです。国会の実務家(議員と職員)にとっては、この点が要注意です。
参議院改革の議論では、独自性やトレードオフといった言葉を、目的が不明確なまま使うこと自体が無意味です。これらの言葉は、本来議論すべき参議院の役割を曖昧にするため、かえって議論を混乱させています。一見難解な専門用語を使って説明したかのように見えますが、実のところ全く中身(問題の本質=参議院の役割)のない議論と言うべきです。難解な言葉の濫用が、学者の思考停止を招いているようにすら見えます。
制度設計における目的論の欠如は学問的怠慢であり、私は至極当然のことを述べているにすぎません。参議院改革を語る上で、参議院の役割を定義せずに議論を進めるのは、制度設計論として根本的な矛盾です。著しく非論理的で、学術的正当性を欠いています。
「参議院の役割を議論することは、すなわち参議院の存在意義を問うことであり、この議論抜きには、参議院の権限や選挙制度を論じることもできない。参議院改革を語る前に、参議院の役割は何かという問いに答えよ。」
国会審議においては、制度設計の出発点として、参議院の存在意義と役割が厳しく問われるべきであり、参議院改革について国会で自説を述べる学者は、この問いに明確かつ論理的に答える責任があります。大山氏及び大山氏を支持する竹中治堅氏の責任は重大です。これは学問的誠実性の問題であり、公共的責任の問題でもあります。特に大山氏の議論は、独自性や選挙制度の違いばかりを先行させ、それが何の目的(参議院の役割)に基づくものかを明示せず、あたかも形式の違いだけで参議院の価値を語ろうとするものです(※)。公共の制度を論じる者が、制度の目的を問わない。全く異常であり、学者の議論とは言えません。
※大山礼子「国会改革の失われた30年」信山社193頁から195頁(そして今 参議院の存在意義ー独自性発揮への道ー)
実務に裏打ちされ、論理に基づいた制度設計論(※)でなければ、国会改革は実効性を持ち得ません。大山氏の議論を乗り越えなければ、真の参議院改革は実現しないのです。大山氏は「国会改革の失われた30年」という本を書いていますが、国会学の第一人者が参議院の役割と改革の目的を明確かつ具体的に示してこなかったことが、改革の停滞を招いた大きな要因だと私は考えています。さらに、参議院の独自性は制度設計論の焦点を曖昧にし、議論を混乱させる要因となりました。参議院改革は、選挙制度や権限配分といった単なる技術論ではなく、民主主義の構造改革として位置づけられるべきものです。国権の最高機関を支える国会の実務家は、この国の未来を変える参議院改革のために、この目的論なき学説から脱却しなければなりません。
※大山礼子「国会改革の失われた30年」信山社193頁から195頁(そして今 参議院の存在意義ー独自性発揮への道ー)
実務に裏打ちされ、論理に基づいた制度設計論(※)でなければ、国会改革は実効性を持ち得ません。大山氏の議論を乗り越えなければ、真の参議院改革は実現しないのです。大山氏は「国会改革の失われた30年」という本を書いていますが、国会学の第一人者が参議院の役割と改革の目的を明確かつ具体的に示してこなかったことが、改革の停滞を招いた大きな要因だと私は考えています。さらに、参議院の独自性は制度設計論の焦点を曖昧にし、議論を混乱させる要因となりました。参議院改革は、選挙制度や権限配分といった単なる技術論ではなく、民主主義の構造改革として位置づけられるべきものです。国権の最高機関を支える国会の実務家は、この国の未来を変える参議院改革のために、この目的論なき学説から脱却しなければなりません。
※荒井達夫「参議院改革における制度設計の原則」PDFファイルを表示
以上、大山氏の議論に対する批判の要点は、次のとおりです。
以上、大山氏の議論に対する批判の要点は、次のとおりです。
・参議院改革の議論において最初に問うべきは、参議院の独自性ではなく、参議院の役割である。
・参議院の権限も選挙制度も、参議院の役割という目的を果たすための手段にすぎない。
・目的が不明確なまま手段を論じることは、制度論として無意味である。
・二院制である以上、衆参両院の目的が異なるのは当然であり、目的の違いが独自の結果を生むのも必然である。
・参議院には衆議院と異なる独自の役割がある、それだけである。
・この自明の原理を見失うことこそ、制度改革の混迷の最大の原因である。
大山氏が単に国会の現状を説明しているだけなら、それは無害な学問的分析と言えるでしょう。しかし、国会学の権威として改革の停滞を問題にしている以上、目的を欠いたまま制度を語るその姿勢は、改革の思考を停止させる点で有害であると言わざるを得ません。荒井達夫による参議院改革論は、「行政監視=法律執行の監視」と「目的論なき制度論は無意味」という二つの原理を核にしています。参議院の改革を論じるには、参議院の役割を語らねばならない。制度は目的を持つ。目的なき制度論は学問ではない。目的論なき制度論は無意味であり、時に有害でさえある。これは、日本の統治機構改革に関する議論が抱える根本的な欠陥であると考えています。
大山氏が単に国会の現状を説明しているだけなら、それは無害な学問的分析と言えるでしょう。しかし、国会学の権威として改革の停滞を問題にしている以上、目的を欠いたまま制度を語るその姿勢は、改革の思考を停止させる点で有害であると言わざるを得ません。荒井達夫による参議院改革論は、「行政監視=法律執行の監視」と「目的論なき制度論は無意味」という二つの原理を核にしています。参議院の改革を論じるには、参議院の役割を語らねばならない。制度は目的を持つ。目的なき制度論は学問ではない。目的論なき制度論は無意味であり、時に有害でさえある。これは、日本の統治機構改革に関する議論が抱える根本的な欠陥であると考えています。